楽しく芸術を学ぶの回〜パフォーマンスに物語は必要じゃない!?〜

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パフォーマンスには必ずしも物語があるんじゃないよ!
っていうことを今回は説明していく。

そもそもコンテンポラリーダンスとは

コンテンポラリーダンスとはなんだろう。ROSASというダンサー集団がいて、その集まりは1980年代から、コンテンポラリーダンスをしていた。

ベルギー・ブリュッセルを拠点に、30年以上の長きにわたり世界のコンテンポラリー・ダンス界をリードして いるカンパニー「ローザス」はすごい。

振付家アンヌ・テレサ・ドゥ・ ケースマイケルはのちに書くピナ・バウシュの後継と呼ばれる人。

20世紀になってからは、ダンスが多様化してその多くが肯定されるようになった。今、商業的にやられているダンスは正式にはコンテンポラリーダンスというんだよ。ROSASも当時やってたコンテンポラリーダンスを否定されるなど苦しい立場にあったが、今は世界的に認められているのだ。

作品1 ROSAS

物語として捉えがちな自分。演劇とは違い、物語がないのだ。

大切なのは呼吸の心地よさとか、伝わってくること。紹介するROSASの作品は、初めにカルトのような衣装を纏った4人のダンサーが登場する。その4人が起き上がろうとする俊敏な動きと突如睡魔に襲われたかのような脱力の動きを繰り返していく作品だ。

作品を見ること、見方がまだよくわからないが呼吸や衣擦れの音が心地よかった。

人の声:機械的な音楽、動きと呼吸との対比が面白い。呼吸があって人間だとわかりほっとする。

そんな視点はなかった。面白かった。チェルフィッチュを思い出した。チェルフィッチュはどこか脱力した、気怠い感じのある劇を演出する。ダンスはどこか華やかなものであるという先入観があったが、脱力感を演じるのは人間的な面が強く出ると思った。

作品2 ピナバウシュ

ピナバウシュを三つで表すと、関係性 根源的な欲求 女性性だ。

彼女は関係性を見せるのがうまい。ピナバウシュの作品では男性と女性のペアが登場する。男女の恋愛模様が、悩むような表情、女性を思いやる表情や情熱的な動きで表現される。それが実にうまい。

根源的な欲求はピナバウシュが得意とするものだ。水を吐き合うシーンや男性が作った輪に飛び込むシーンなど。子供の頃の遊びのような。

女性性は割とよく見える。ピナバウシュの作品では多く女性が主役だ。

ピナバウシュの作品を見て思ったこと。

よくわからなかったけど、その中でも女性的な感じはすごいした。
ドレスがひらめく踊りがすごい女性的で、「アンドレイ!」と呼ぶ男性もどこかなよなよした女々しい感じ。後、信頼を度々演出していると思った。女性が男性の作った輪に飛び込むのは根源的な欲求が現れているという話があった。だが私は初め見た倒れ込む女性やこのシーン、最後のアンドレイ役に抱きつくシーンなどは特に深い関係性を持っていると思った。

他の人の考え

1つ目の作品が夢の中のように感じた。

確かに、ピナバウシュの作品は男性がすでになくなっているような、影や鏡のテーマが使われていて不思議な感覚になるな。

Onは感情のままに、Offは静かに。それがはっきりしていて面白い。

作品は脚本家だけでつくられない

もう一つ大切なことがあって、作品は脚本家だけではつくられないということ。
例えば、ピナバウシュの作品に出てくる楽しそうに踊る男性。
これはダンサーの男性からの提案だという。

次に、ステージの上に椅子が並べてあるだけの簡単なもの。元々椅子すらなかったそうだが美術監督の声で椅子が並べられた。作品がさらに良くなったといういい例だ。

このように、特にコンテンポラリーダンスでは演者や他の技術者の声で作品が良い方向に変わることがあるのだという。それも作品を作っていく上で大切なことだ。

まとめ

現在のダンスは広くコンテンポラリーダンスと呼ばれるもの。パフォーマンスには必ずしも物語があるわけではない。ピナバウシュのように、関係性、根源的な欲求、女性性を表現する
芸術的な側面がある。